2017年5月12日金曜日

ユー・ゲイブ・ミー・ア・マウンテン


You Gave Me A Mountain
Elvis Presley


ポピュラー音楽史上、未曽有の大イベント、人類初の民間人の全世界同時放映。
ホノルルから発信されたエルヴィス・プレスリー、ライブの宇宙中継。
『エルヴィス・アロハ・フローム・ハワイ』

エルヴィス・プレスリーのライブ映像は、これより先に映画館で上映された「エルヴィス・オン・ステージ」で鑑賞済みだ。なのでスクリーンより圧倒的に小さいブラウン管に映し出されるエルヴィスを観たからってどうなんだ。という気になるかも知れない。

ところが、「エルヴィス・オン・ステージ」と『エルヴィス・アロハ・フローム・ハワイ』では衝撃度が全然違うのだ。

この衝撃は一回限りだ、いまこの瞬間、エルヴィスがそこで歌っているという衝撃は、見た者でないと分からない。

エルヴィスがそこに登場した瞬間の驚きは、凄かった。あらゆるミュージシャン、映画俳優を凌駕した。置換不可能。唯一無二の存在。その華やかさは尋常ではない。”オーラ”というものだ。


ビートルズの日本公演をテレビで見た人も多い。
しかし、存在感がまるで違った。

あれはなんだったのか、いまだに分からない。





声ならし程度の<サムシング>が終わり、
序盤戦のクライマックスとなる
4曲目の<ユー・ゲイブ・ミー・ア・マウンテン/ You Gave Me A Mountain>は、
親に憎悪された子の物語を
そエルヴィス・プレスリーはさりげなくはじめ熱唱に至る。

いまでもこのパフォーマンスではじめて「エルヴィスを体験した」人は後を絶たない。

 砂漠の真ん中に生まれて
 母は私に生命をくれると同時に死んだ
 彼の妻をうばったのは私のせいだと
 父の愛すらも許されず
 神よ、貴方はご存知ですね。私は無実の罪で
 牢獄にいれられておりました
 それとてもあまたの丘の頂きのひとつとして
 私はそれらすべてをひとつひとつ越えてまいりました
 しかしこのたびは神よ、貴方は山を下さった
 とても私には登れそうにない山を
 それはとうてい丘とは呼び得ないもの
 貴方様はこのたび私に山を下さったのです
 
 愛する女は心の痛みに飽き疲れ
 悲嘆とあらそいに疲れきっています
 なんにもならない労働に疲れ果て
 私の妻であることにも疲れたのです
 彼女は私の陽光のいちるの望みを持ち去り
 私の誇りと喜びを私の生きる理由を
 そして私の小さな坊やまて連れ去りました
 ああ神様
 貴方はこのたび私に山を下さった
 とても私には登れないだろう山を
 とてもそれは丘とはいえないような山を
 
 神様、あなたはこのたび私に下さったのです
 神様、あなたはこのたび私に下さったのです




しかし、エルヴィスは本当のところどうだったのか?
子ども時代に辛い体験をした偉人は多い。
成功した人に共通しているのは、「愛された体験」だ。

愛された人は、打たれ強い。
自分を信じ、愛する人を信じることを、当たり前のようにやっている。

これはとても大事なことで、
どんなに凹むような状態になっても、痛みや衝撃の交わし方がうまい。
生きる力が強いという言い方もできる。

神経をピーンと張り詰めてたら身がもたない場面でスッとかわせるのだ。

しかし、「教育」はそれをよしとしない側面がある。
「凹む時に凹まないのはおかしい」と無言のメッセージを放つ。
自分はかわせるのだが、それはズルいこといなんだと自分をたしなめる。
投げ込まれたメッセージを受け入れないと人でないような錯覚が起こる。

誤解が生じることがあるから、それ以上は言わない。


<ユー・ゲイブ・ミー・ア・マウンテン/ You Gave Me A Mountain>が脳内で鳴り響いても、<心の届かぬラブレター>を歌うタフさが必要なのだ。

それこそエルヴィス・プレスリーの真骨頂ではなかったか。







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